History

横河工務所設立

図面を引かない建築家

三井総本店が竣工した翌年、民輔は弊社前身である「横河工務所」を設立します。後に「図面を引かない建築家」と言われたように、中村伝治、松井貴太郎などの優れた設計者に実務を任せ、自身はマネージメントに没頭していきます。鉄骨構造の普及に尽力し、自国での鉄骨生産を実現するための「横河橋梁製作所」(現 株式会社横河ブリッジ)、計測器類を生産する「電気計器研究所」(現 横河電機株式会社)をはじめとし、様々な事業を展開していきます。
しかしこれらの事業を抱えながらも、横河工務所の所長として建築設計を軸としていたことは明らかです。設計を行う技術者たちは口数少ない所長の機微を「黙って聞いておられるときは一旦見合せ」、「うなずいて聞いておられたら賛成」、「”それは宜しい”と言われたらほめ言葉」といった具合にとらえ、民輔の思いを建築として紡いでいきました。
工務所が世に出す建築に対する責任は民輔自らが追い、民輔の人脈や厚い人望と横河工務所の高い技術力が、顧客からの信頼を支えていました。

横河工務所の成功  「今日は三越、明日は帝劇」

「…日本橋区三代超楓河岸に事務所を設け、あまねく建築の設計、製図、督工、図案、測量等の需めに応ずる事になせしに、氏の技能を慕うて建築の設計等を依頼するものの日に増加し、昨今に至りては所員を増加するも、なおにわかに申込みに応じ兼ねるまでの繁忙を来たし居れりと云う」
(『中外商業』 明治36年7月4日付)

こう報じられたように、横河工務所は民輔の人望と科学的根拠に裏付けられた確固たる技術をもって、建築の黎明期である明治・大正・昭和と数多くの実績を残しました。
当時流行したキャッチコピー「今日は三越、明日は帝劇」に掲げられる三越日本橋本店、旧帝国劇場の両方が横河工務所の作品です。
その他、東京株式取引所・日本工業倶楽部・三信ビルディング・東京銀行集会所・交詢社倶楽部等をはじめとし、ビルディング・店舗・銀行・紡績工場・個人邸宅等、人々の暮らしの中に根付き堂々と息づく、華々しい建築を築いていく存在となりました。

  • 帝国劇場

  • 東京銀行集会所

  • 三越日本橋本店

  • 交詢社倶楽部

  • 三信ビルディング

  • 日本工業倶楽部

  • 東京株式取引所

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